マゼランの悲劇とウォーレス線:プレートテクトニクスが解き明かす生物地理学の謎
- 2024-12-30
マゼランの悲劇とウォーレス線:プレートテクトニクスが解き明かす生物地理学の謎
1519年、マゼランの世界一周航海と悲劇的な結末
1511年、ポルトガル王国出身の航海士フェルディナンド・マゼランは、世界一周航海の夢に胸を膨らませていました。当時、ドイツの地図製作者マルティン・ヴァルトゼーミュラーが作成した新しい世界地図を目にしたマゼランは、新大陸からさらに西へ航海を続ければアジアに到達するだけでなく、世界一周も可能だと確信したのです。
誰も成し遂げられなかった偉業を、自分が成し遂げると豪語したマゼランでしたが、その道は険しく、困難の連続でした。ポルトガル国王とのいざこざや、様々な困難を乗り越え、1517年にはスペインに帰化し、現地女性と結婚します。スペイン国王は、マゼランの新たな航路を開拓するという提案に大いに感銘を受け、航海の資金を全額負担するだけでなく、新しく発見した領土の総督の地位も与えるという破格の条件で支援しました。
1519年、スペインの全面的な支援の下、マゼランは艦隊を率いて世界一周の航海に出発します。航海の途中で反乱や激しい嵐、伝染病といった多くの困難を乗り越え、グアムに到達。さらに西へ進み、1521年には現在のフィリピンのセブ島にたどり着きます。
セブ島を支配していたラジャ・フマボン王と親密な関係を築こうとしたマゼランは、マタン島を治めるラプラプ王を討伐してみせると豪語します。小さな島の王など簡単に倒せる、と判断したマゼランは、僅か60人のスペイン兵と200人のセブの兵士を率いてマタン島に向かいました。しかし、マタン島には1500人のラプラプの軍隊が待ち構えていました。
敵は一斉にマゼランに襲いかかりました。鉄槍や竹槍、バハイロの剣で、マゼランは殺害されます。ひどく動揺した残りの隊員もろくに抵抗もできず、マゼランはむざんな最期を遂げました。隊長を失っても、隊員たちは故郷へ帰るための航海を続けることを余儀なくされました。1522年、200人を超える乗組員と3隻の船を犠牲にして、18人だけがどうにか本国への帰還に成功しました。イタリア人のアントニオ・ピガフェッタもその一人でした。
ピガフェッタの記録とヨーロッパ中を震撼させた新発見
ピガフェッタは学者として航海記を書き残す一方、到達した場所の生物を含む詳細な情報を記録しました。その記録はヨーロッパ中で大きな話題を呼びました。航海中のエピソードや、神秘的な文化や動植物は、人々の想像力や冒険心を大きくかき立てました。
その後、フィリピン、インドネシア、オーストラリアまで航路が開かれ、人々はピガフェッタの記録を自ら目で確認できるようになりました。
ウォーレス線と生物地理学の謎
それから約300年ほどたった1845年、イギリスの航海士ジョージ・ウィンザー・アールはインドネシアとオーストラリアに生息する動物相の違いについての調査結果を発表しました。アールは、スマトラやジャワなどの西側の島々にはアジア大陸にいるサイ、ゾウ、トラ、キツツキなどが生息し、オーストラリア側にはカンガルー、コアラ、オオメジロインコなどが生息することを指摘しました。
当時の生物学者たちは、この地域が非常に多様な生物を一度に観察できる生命の宝庫であるという事実に大いに興味を惹かれました。しかし、当時、飛行機に乗って自由に長距離を移動できる現代とは異なり、19世紀には荒波を乗り越えていく長い航海を強いられ、短期間で多くの場所を移動することは不可能でした。さらに長距離の航海には多額の資金が必要であり、大金持ちのスポンサーが不可欠でした。
こうした理由から、学者にとって遠く離れた地域の調査や研究をすることは、生涯に何度も無い貴重な機会であり、一石二鳥の効果が得られるこの地域は人気を集めました。
チャールズ・ロバート・ダーウィンと共に進化論の父と称されるイギリスの生物学者アルフレッド・ラッセル・ウォレスも、同様の理由で自身の調査地にインドネシアとオーストラリアを選びました。ウォレスはサラワク王国の国王であり探検家でもあるジェームズ・ブルックの支援を受け、1854年に東南アジアへの航海に出かけました。
ウォーレス線が示す驚異:まるで別世界のような生態系の違い
数年間にわたって調査を続けたウォレスは、ある奇妙な点に気づきました。いくつかの地域間で生態系が明確に異なっているのです。生態系が異なる地域を基準に仮想の線を引いてみたウォレスは、衝撃を受けました。まるで誰かが見えない線を引いたかのように、その線が一本につながったのです。
これはかなり奇妙なことでした。通常、近隣地域の環境は非常に似ているか、多くの共通点がありますが、この地域に限ってそうではありませんでした。もちろん、間に海がありましたが、最も近いバリ島とロンボク島の間の距離はわずか35kmしかありません。陸上生物はともかくとして、鳥類や海洋生物にとっては十分に移動可能な距離でした。
それなのに、どういうわけか線を境にそれぞれの地域がまるで別世界のよう異なる生態系を持っていたのです。アールが指摘した通り、線の西側にはサイ、ゾウ、トラ、キツツキなどアジアでよく見られる動物が生息していましたが、なんとその仮想線の向こう、東側にはこれらの動物は全く存在していません。
逆に、東側に生息するカンガルー、コアラ、オオメジロインコなどは西側では見つけることができませんでした。9000km以上離れたイギリスと日本よりも、35kmしか離れていない島々のほうが、生態系の違いが大きいという常識では理解しがたい現象でした。
まるで別の次元に瞬間移動したかのように、ロンボク島は初めて目にする新種の生物であふれていました。それは鳥類も例外ではありません。ウォレスから見て、空を飛ぶ鳥たちにとってこの二島間は容易に移動できる距離に思えましたが、ジャワ島やバリ島でよく見られる金色のコウヨウジャク、ゴシキドリ、マレーミズナギドリといった鳥は、ロンボク島には一羽も生息していませんでした。
逆にロンボク島に生息するゴクラクチョウは西側ではこれまで発見されたことのない鳥でした。さらに、自由に海を渡ることができる海洋生物までが生態系が分かれていたのです。
ウォーレス線の謎を解く鍵:プレートテクトニクス理論
後にウォーレス線と呼ばれるようになる、2つの生態系を分ける仮想の線を発見したウォレスは、自身の発見を学会へ報告する前にマラリアにかかり、病床に伏せることになります。病床にあったウォレスもこの線について考え続け、革新的な仮説を思いつきます。
ウォレスは3つの事実に着目しました。
- 線を境にして発見された鳥類を調査した結果、長距離飛行ができない非移動性の鳥類であることが明らかになりました。この鳥類の行動範囲は1kmから1.5kmで、遠くの地域まで渡ることはありません。
- 表層期には海面が低くなり、現在は海で隔てられている島々が陸続きだったと考えられます。
- ジャワ島やバリ島を初めとする西側の生物群はアジア大陸でも見られ、ロンボク島を含む東側に生息する生物群はオーストラリアでも見ることができます。
この3つの事実を根拠に、ウォレスは過去の表層期にはウォーレス線の西側の島々がアジア大陸とつながっていて、東側の島々はオーストラリア大陸とつながっていたという仮説を立てました。表層期が終わって海面が上昇したあと、大陸と島々は現在の位置に移動しましたが、非移動性の動物や昆虫は35kmという海峡を越えることができず、2つの生態系は現在まで分断されているというものです。
さらに、ウォーレス線に沿って活発な海底火山活動が起き、深海に強力な海流が生じたため、海洋生物の生態系もまた分断されたと主張しました。
ウォレスはこの仮説に基づき、生息する生物種に基づいて世界の地域を区分する生物地理学の分野を創始しましたが、この仮説に対する当時の学会の反応は冷ややかなものでした。ウォレスの主張はそれなりに筋が通っていましたが、最も重要な陸地が移動する根拠が示されていなかったからです。
ウォレスが90歳で亡くなる1年前の1912年、ドイツ地質学会誌に「大陸の起源について」という論文が掲載されました。ドイツの地質学者アルフレッド・ウェゲナーはこの論文の中で、大陸が動くという大陸移動説を唱えたのです。これに対しても、学会の反応は冷ややかでした。当時の常識では、巨大な大陸が滑るように動くなど想像もつかなかったのです。
プレートテクトニクス理論の確立とウォーレス線の謎解き
しかし、第二次世界大戦を通じて衝撃的な事実が明らかになりました。敵の潜水艦に対抗するため急速に進歩した海底探査技術が、海底の地質の形状を詳細に描き出し、深海に巨大な谷や山脈が存在することを明らかにしたのです。さらに驚くべきことに、地震が頻繁に発生する場所が海底の谷や山脈の位置と一致していたのです。
いくつかの調査を通して、学者たちは海底の地層が互いに衝突する過程を経て、谷や山脈が形成され、その衝撃で地震が発生するという仮説を立てました。また、原爆製造のために放射性物質を継続的に研究していた原子力学会は、地表近くのウラン、トリウム、カリウムなどの放射性元素が放出する崩壊熱がマントルの対流運動の原動力となりうることを明らかにしました。
こうしてプレートテクトニクス理論が確立されたのです。この理論を大まかにまとめると次のようになります。
- 地球は巨大な複数のプレートで構成されている。
- マントルの対流運動によってプレートは浮き上がり移動する。
この理論は長年の疑問であった多くの現象を明確に説明しました。ウォレスの仮説もまた、プレートテクトニクス理論により正しさが証明されたのです。
調査の結果、ウォーレス線はプレートの境界と一致しており、プレート同士がぶつかって活発な海底火山活動が起こり、海洋生物を分断する強力な海流が発生していたのです。また、シミュレーションでプレートの移動過程を再現した結果、ウォレスの推測通り、表層期には西側の島々がアジア大陸と、東側の島々はオーストラリア大陸とつながっていたことが明らかになりました。
かなり長い間、ウォーレス線を挟んだ2つの地域は遠く離れていました。そのため、当然ながら2つの地域は独自の生態系を築いたのです。今でもこの地域はウォーレス線を境に全く異なる生態系を維持しています。
一方、長きにわたって分かれていた異なる生態系を持つ2つの地域が、将来再び出会うことになるといわれています。プレートは動き続けているため、500万年~1億年後にはオーストラリアが北に移動してインドネシアにぶつかることになり、学者たちはこの時期に2つの生態系が接触する過程で様々な変化が起こると予測しています。
さらに時間が流れ、1億5000万年後にはオーストラリア、アジア、ヨーロッパ、アフリカが全て陸路でつながります。2億5000万年が過ぎると、地球上には新しい超大陸が形成され、完全に変わってしまった気候と自然環境は融合した生態系を、私たちの想像を超えた世界へと変えるでしょう。研究結果によれば、この時期には地球の気温が大幅に上昇し、40度から70度の間を推移し、極端な気候変動が繰り返されて大量絶滅が起こる可能性もあるとのことです。
既に人類が終末を迎えた後であれば、中生代の様に再び爬虫類や絶滅動物が地球上で繁栄するかもしれません。そしてさらに長い時間が経過すると、超大陸は再び分裂していき、生物は絶滅と進化を繰り返し、新しい人類の歴史が紡がれるかもしれません。そしてきっと、自分たちが地球で最初の人類だと信じるのでしょう。
以上、奇妙な旅でした。