Epic Gamesの驚異的な歴史:Fortnite誕生までの道のり、そしてその先へ
- 2025-01-01
エピックゲームズの軌跡:小さな会社からゲーム業界の巨人へ
世界を席巻する人気ゲーム『Fortnite』を生み出したEpic Games。その成功の裏には、30年以上にわたる波乱万丈の歴史があります。革新的なゲームエンジン「Unreal Engine」の開発から、独占的なビジネスモデルの構築、そしてFortniteの爆発的なヒットまで、エピックゲームズの驚くべき進化の物語を紐解いていきます。
始まりは1991年、ティム・スウィーニーの少年時代から
Epic Gamesの創設者、ティム・スウィーニー氏は1991年、アメリカ・メリーランド州ポトマックの実家で「Potomac Computer Systems」を設立しました。 幼い頃から機械いじりが大好きだったスウィーニー氏は、5歳の頃には自作の芝刈り機を改造してゴーカートを作っていたという逸話も残されています。
中学生時代には兄がコンピュータービジネスを営んでいた影響もあり、プログラミングや企業経営への道を志すようになりました。大学入学後には、学生企業としてコンピューターサポートや企業コンサルティングを行うPotomac Computer Systemsを設立しましたが、残念ながらこれは失敗に終わります。
ゲーム開発への転身:テキストエディタから生まれたZZT
最初の事業の失敗後、スウィーニー氏はゲーム開発に目を向けます。授業の合間にプログラミングを始め、既存のエディタに満足できず、エディタ自体を自作することからスタート。作業の合間に、マウスカーソルを絵文字にしたり、文字を画面上を動き回らせたりと遊び半分で機能をいじっていたところ、それがゲームになるのでは?と思いつくのです。
9ヶ月ほどの開発期間を経て、1991年にテキストエディタをベースとしたアドベンチャーゲーム『ZZT』が完成。友人たちの反応も良かったことから、ネット掲示板を通じて販売を開始。なんと、1日あたり約100ドルというまとまった収益を得ることができ、スウィーニー氏はゲーム開発で本格的に食べていくことを決意します。
エピックゲームズの成長とUnreal Engineの誕生
ZZTに続き、スウィーニー氏は次の作品『Jill of the Jungle』の制作に着手。音楽やアートのスキルが不足していたことから、社員を雇い始め、徐々に会社は拡大していきます。この作品もエディタをベースにした任天堂スタイルのゲームで、1992年に2D横スクロールゲームとしてリリースされました。
社員数は8名にまで増え、現在の副社長であるマーク・レイン氏や、後にエピックゲームズの成功に貢献するプログラマー、クリフ・ブレジンスキー氏もこの頃に同社に入社。社名もPotomac Computer SystemsからEpic MegaGamesに変更されました。
1994年にはブレジンスキー氏がデザイナーとなり、『Jazz Jackrabbit』を発売。一部からはソニックのパクリと言われる作風でしたが、テンポの速いゲームプレイと高度なグラフィックによって一定の成功を収めます。
重要なポイント: 初期のEpic Gamesは、パソコンプラットフォームに特化しており、この傾向は後のEpic Gamesにも引き継がれていきます。
大規模ゲーム制作への挑戦とUnreal Engineの革新性
1995年頃には社員数は25名にまで増加。Epic Gamesは、いよいよ大規模ゲームの制作に着手することになります。この頃、既に大学生のジェームズ・シュマーレツという超優秀なプログラマーがいました。スウィーニー氏は彼の才能を見抜き、1993年に未完成プロジェクトだったピンボールゲーム『Epic Pinball』の制作を彼に依頼したことから関係が始まっていました。
Epic Pinballが一定の成功を収めたことから、シュマーレツ氏とブレジンスキー氏の2人で次のゲーム作品を制作することに。そして選ばれたジャンルがFPSでした。
1993年当時、世界初のFPSゲーム『DOOM』が業界で大変な流行を見せており、まだFPSという言葉すら存在しなかった時代でした。彼らが目指すのは、そんな大先輩タイトルとの対決。
スウィーニー氏は2人の挑戦を歓迎すると同時に、ゲーム業界が2Dから3Dポリゴンへと移行し始めていたことを踏まえ、ゲームエンジンからの制作を選択。そうして誕生したのが『Unreal』そしてそのために開発されたエンジンこそ、2024年現在でも世界中で利用されている Unreal Engine でした。
Unreal Engineの革新的な点は、当時の8ビット表示とは対照的に16ビット環境を採用し、多彩なエフェクトを搭載したことで、アクションゲームの基準を大きく引き上げた点です。
開発中の96年後半には、デモ作品がPC Gamer誌に掲載され、弱小開発会社だったEpic Gamesは業界で大きな話題を呼びます。マイクロソフトからも呼びがかかり、ビル・ゲイツへのプレゼンを行ったという記録も残っています。
しかし、プレゼンの時期には既にUnreal Engineの革新性に目を付けていたGT Interactiveというゲーム会社が、大規模な投資を行い契約済みだったため、ゲーム作品としてのUnrealはGT Interactiveをパブリッシャーとして発売されました。GT Interactiveは当時アメリカで勢力を伸ばしていたパブリッシャーで、『DOOM2』のパブリッシュなども手掛けていました。
Unreal TournamentとEpic Gamesの転換期
1998年に発売されたUnrealは話題を呼び、商業的にも大きな売上を達成します。1999年にはマルチプレイに焦点を当てたシリーズ2作目、Unreal Tournamentを発売。前作から順調に進化を遂げ、デザインからゲームバランスまで高く評価され、激しい競争のFPSジャンルで他を圧倒するクオリティを見せつけます。
同年に社名をEpic MegaGamesから Epic Gamesに変更。Megaの削除は、小規模チームだった頃に大企業を装うためにつけたMegaを、もはや必要なくなったためだと言われています。
Unreal Engineのライセンス提供とGears of Warシリーズ
Unreal Engineはバージョン1の頃からライセンス提供という形で販売され、Epic Gamesのビジネスの柱として機能していました。
2000年頃には、アメリカ北米のゲーム市場においてPCからプレイステーション2やゲームキューブなどのコンソール機への拡大が見られ、Unreal Engineバージョン2ではPCに加えてプレイステーション2、ゲームキューブ、Xboxにもゲームを提供できるようになりました。
当時としては画期的なことで、一つのエンジンで全てのプラットフォームに対応できることが非常に革新的でした。また、それまでのエンジンは特定のジャンルに限定されるものが多かったのに対し、Epic Gamesのチームは開発者が様々なスタイルで自由に作業できることをセールスポイントと考え、様々なジャンルに対応できるよう改良を重ねました。この柔軟性も業界から高く評価されることになります。
この頃にはUnreal Engineを使ったヒット作も登場。ホラー系とFPS、RPGを融合させた『バイオショック』やスニーキングアクションの『Thief』などはUnreal Engine 2の代表的な作品と言えるでしょう。
4年後の2006年にはUnreal Engine 3が登場し、Epic Games自身もこの最新のエンジンを使ったソフト、初代Gears of Warをブレジンスキー氏を軸に開発しました。
Gears of Warとマイクロソフトとの関係
当時としては圧倒的な美しさを持つグラフィックと、シンプルで洗練された操作性、飽きさせない工夫を凝らしたステージデザイン、高度な難易度を持つ銃撃戦などで高い評価を受けました。
本作はマイクロソフトとの独占パブリッシング契約を結び、Xbox 360とWindows PC向けにのみ販売されたため、日本では知名度の低いソフトでしたが、全世界で550万本以上のセールスを記録。1200万ドルの開発予算に対して約1億ドルもの収益を上げました。
Unreal Engineに加え自社ヒットタイトルも生まれ、最強無敵の経営になったと思われた矢先、2008年にGears of War 2、2011年にはGears of War 3と、シリーズを重ねるごとに開発費は膨れ上がり、利益幅が削られていきました。3作目頃には6000万ドル近くの開発費がかかっていたと言われています。
この頃のゲームは求められるクオリティとグラフィックが年々上がっていたため、どのゲーム会社も同様に追い込まれていきました。
Fortnite誕生までの道のり:巨大な賭けと方向転換
開発費が莫大なため、大成功を収めなければ会社が潰れるという崖っぷちに立たされていたEpic Games。同時期に、マイクロソフトとのゲーム制作における意見の食い違いから関係が悪化します。
特に、Gears of War Judgementというスピンオフ作品をリリースした際、マルチプレイの品質についてユーザーから不満の声が上がり、Epic Gamesはマルチプレイ部分を切り出して再リリースし、コミュニティの活性化を目指しました。しかし、マイクロソフトがそれに協力的ではなかった事がきっかけとなったようです。
この状況で、スウィーニー氏が下した決断は、Epic Gamesを運命的な方向へと導きます。2011年、新しいパブリッシャーと契約するのか、それともマイクロソフトのパートナーとして従来通りのやり方を続けるのか。スウィーニー氏は、どちらも不吉な予感がした、従来のやり方では通用しないと考えたと言います。
Fortniteの着想と開発:バトルロイヤルへの転換
その時に彼の頭にあったのは、2008年に公開され、世界トップクラスのゲーム人口を誇るMOBAゲーム『リーグ・オブ・レジェンド』でした。スウィーニー氏が注目したのは、常に進化を続けているという点です。
当時としては珍しかった、無料プレイで定期的なアップデートによってプラットフォームとして常に環境が新しくなるという運営スタイルは、革新的でした。これらを真似しようと考えたスウィーニー氏は、大規模かつ単発的なリリースではなく、時間をかけてゲームを運営し育て上げるという戦略を採用することを決意します。
そしてEpic Gamesは、Xboxを中心とした狭い範囲のコンソールゲーム開発者から、マルチプラットフォームのゲーム開発者、そして販売やマーケティングまで全て自社で行うセルフパブリッシャーへと転身します。2012年にはマイクロソフトとの独占契約を解消したのと同時に、会社成長を加速させるため、創業以来初めて自社株を大量に放出し、40%の株を約3億3000万ドルで中国の巨大ゲーム会社Tencentに売却。資金力と強力な体制を強化しました。
Fortniteの成功:無料プレイとバトルパスの革新的なマネタイズ
2011年8月、Gears of War 3完成直後、社員のリフレッシュも兼ね、一定時間内にゲームを制作するゲームジャムという社内イベントが開かれました。そこで生まれたのが、MinecraftやTerrariaが持つ建築要素と、Epic Gamesが得意とするシューティング要素を組み合わせたアイデアでした。
既存アセットなどを活用した出来の良い作品でしたが、この時点で光るものがあり、ブレジンスキー氏を含む一部メンバーで正式に制作を開始することになり、それが後の大ヒットゲームとなるFortniteのプロトタイプとなりました。
初期コンセプトではゾンビや流血の表現もあり、全体としてホラーなトーンでしたが、より大衆受けするようにカートゥーン調のスタイルに変更。11年末には予告編が公開され、Epic Games初の作品として情報が解禁されました。しかし、直後の2012年にはTencentとの株式売買騒動があり、ブレジンスキー氏などの退社などもあり、開発は大きく遅延。その後約2年間、Fortniteの情報は出てきませんでした。
2014年5月、無料プレイでのリリース予定が発表されてからも、他タイトルの開発や社内リソースの問題などもあり、さらに2年以上の歳月が流れ、ついに2017年7月、Fortnite Save the Worldという名前で、タワーディフェンスとサバイバルジャンルのゲームとして有料リリースされました。
Epic Gamesとしては、Fortniteは最初は有料でアーリーアクセスとしてフィードバックを集め、2019年頃までに無料リリースする予定でした。しかし、リリース後、思うように注目を集めることができませんでした。
バトルロイヤルモードの導入と世界的な大ヒット
なぜなら、この頃ゲーム業界が熱狂していたのは、バトルロイヤルゲームの先駆けであるPUBGだったからです。PUBGは2017年3月にリリースされてから3ヶ月余りで500万本以上の売上を記録し、ゲーム業界を席巻していました。
この状況を見て、Epic Gamesは、FortniteがPUBGと同じTPS視点のゲームであること、カートゥーン調のデザインや建築要素があることで差別化が可能であること、そしてUnreal Engine最新版のバージョン4を利用した初めての作品でありゲームの拡張性にも優れていることを理由に、急遽バトルロイヤルモードの実装を決断します。
わずか2ヶ月という短期間で特急に開発を行い、2017年9月、Fortnite バトルロイヤルというバージョンを無料プレイでリリースしました。
リリースから2週間で1000万人を超えるプレイヤーを獲得。PUBGに飽き始めていたユーザーを中心に、次々とプレイヤーが流入し、大成功を収めます。
この成功を受け、Epic GamesはSave the World版とは別に、Fortnite バトルロイヤルの開発を続けるため別チームを立ち上げました。
クリエイティブモードとUnreal Editor for Fortniteの登場
2018年12月にはシーズン7開始と同時にクリエイティブモードを実装。プレイヤーは自由に島の設計をクリエイトし公開できるようになり、現代のFortniteにつながる、何でもあり的なメタバース的空間創造という新しい楽しみ方が生まれます。
2023年3月にはUnreal Editor for Fortniteがリリースされ、プレイヤーはFortniteのアセットを使って、フォトゲーやレースゲームなど全く違うジャンルのゲームを制作できるようになり、リリースから6年経っても勢いは止まりません。
Fortniteの成功とEpic Gamesのビジネスモデル
Fortniteは基本無料ゲームでありながら、今日までEpic Gamesに莫大な利益をもたらしています。これは、Fortniteのマネタイズ方法が革新的だったことが大きな理由です。
多くの無料ゲームで導入されているバトルパスという仕組みは、Fortniteが2017年12月のシーズン2から本格的に導入しました。ユーザーは魅力的なスキンやエモートのパックを比較的コンパクトな値段で手に入れられ、Epic Gamesはゲームを継続的に遊んでもらえる繋がり止め、コミュニティを維持しユーザー増加を加速する循環を作り出せました。
2018年2月のシーズン3初日には、500万個以上のバトルパスを販売し、1日で5000万ドル以上の収益を上げたと言われています。
Epic Games Storeの誕生と独占販売戦略
この莫大な利益を元に、Epic GamesはPCゲーム市場の覇権に挑み、2018年12月にデジタルストア事業への進出を決定します。
それまでPC向けゲームのデジタル配信はSteamやGOG.comなどのデジタルストアを介して行われ、Steamが全デジタル配信の75%を占める独占状態でした。Epic GamesはSteamが売上高の30%を手数料として徴収していることに目を付け、それよりも大幅に低い12%の手数料で、Steamの牙城を崩すためのストアを設立。Epic Games Storeが誕生しました。
直後からUbisoftなどの大手企業がEpic Gamesへ独占的にソフトを提供することを決定するなど、配信市場の流れは大きく変わり始めます。Epic Gamesはリリースから1年間はEpic Games Storeでしか売らないという、いわゆる時間限定独占販売を多くのサードパーティ製タイトルと契約し、莫大な利益を稼ぎ出しました。
2019年の最初の1年間で6億8000万ドル以上の売上高のうち、90%が時間限定独占販売によるもので、この成長ぶりはEpic Gamesの予想外だったと語られています。
現在のEpic Games:成功と批判
2024年現在、この独占的なスタイルはゲームコミュニティに分裂をもたらしていると批判されることも多く、Tencentという中国企業がEpic Gamesに出資していることも多くのユーザーが認識し始めていることから、セキュリティ面でも懸念が生じています。
まとめ:ゲーム業界の未来を担う存在
しかしながら、Epic Gamesは創業から33年をかけ、ゲームソフト、ゲームエンジン、ゲーム配信市場と全ての分野で革新を起こし続けてきた実績は紛れもない事実です。今後もゲーム業界のゲームチェンジャーとして、最前線を走り続けることは疑う余地もありません。
エピックゲームズの歴史、いかがでしたでしょうか?
この長い歴史の中で、Epic Gamesは常に挑戦と革新を続け、世界的な成功を収めました。今後の動向にも目が離せません。 ご視聴ありがとうございました。