古代エジプトと猫:バステト信仰と猫の歴史を探る1万文字超え大解剖!

古代エジプトと猫:バステト信仰と猫の歴史を探る1万文字超え大解剖!

古代エジプトと猫:バステト信仰と猫の歴史を探る1万文字超え大解剖!

はじめに:エジプトの猫信仰とバステト

皆さんは、古代エジプトで猫が神として崇拝されていたことをご存知でしょうか? 今回ご紹介するのは、エジプト神話に登場する猫の女神、バステトと、猫とエジプト文明の深い繋がりについてです。 紀元前600年頃に作られたとされる猫の像を修復した、ゲイア・アンダーソン氏の作品は、その精巧な造形から芸術家からも高い評価を得ています。丸っこい体格や尻尾を見れば、そのクオリティの高さが一目瞭然。まるで本物の猫のようなんです!

この事実から、多くの疑問が湧き上がってくることでしょう。「なぜ猫が神なのか?」と。猫好きの私自身も、猫を崇拝したくなる気持ちはよく分かります。しかし、古代エジプト人にとって、猫は単なるペット以上の存在だったのです。彼らは、生きていく上で重要なパートナーとして、猫と共存していたのです。

本記事では、猫と古代エジプトの関わりについて、その歴史と文化、そしてバステト信仰の変遷を徹底的に掘り下げていきます。 猫が神として崇められた理由、バステト像が猫の姿になった経緯、そして猫とエジプト文明の興亡といった、興味深い事実を数々の文献や研究結果を基に紐解いていきます。準備はよろしいでしょうか?それでは、エジプトの猫の世界へご案内いたします!

猫と人間の共存:その歴史を紐解く

猫を神様としてしまうなんて、エジプト人は相当猫が好きだったのでしょうね! その通りです!では、猫と人間の共存に至るまでの歴史を振り返ってみましょう。

猫の最も古い先祖とされているミアキスは、約6500万年前、地球に誕生しました。驚くべきことに、このミアキスは、ある時期に生息地である森から逃れ、草原で集団で狩りをしていた古代の動物の祖先とされているのです。そして、そのミアキスたちは、今の犬の先祖でもあると言われています。

へぇ~!犬と猫の先祖が一緒だったなんて、初耳ですね!

それから約4000万年後に、ミアキスは進化してプロアイルルスへ。現代の飼い猫よりも一回り大きく、森で狩りをするためにかなり鋭い爪を持っていたと言われています。さらに約1000万年後には、プセウダイウルスへと進化します。この頃になると、地域による古代猫の差が激しくなり、大型のものは30kg以上の体重を持っていたそうです。

30kgって、チーターとか並みの重さですね!

実際、プセウダイウルスはチーターなどの直接的な先祖でもあります。それから、プセウダイウルスが進化してシバイウルスへ、そしてシバイウルスが進化して様々な猫科動物が生まれたというわけです。

そうした進化を繰り返し、今から約9500年前、地中海キプロス島では、猫と人間が共存していた痕跡が発見されています。2004年頃、キプロス島の遺跡で、人と一緒に埋葬された猫の骨が発見されたのです。キプロス島は地中海に位置する島で、猫科動物の在来種は元々いませんでした。つまり、キプロス人はわざわざ陸地から猫を連れてきたことになるのです。

多分、猫の可愛さに惚れて連れてきちゃったのよ!

それも、あるかもしれません。しかし、ここで別の視点を見てみましょう。

肥沃な三日月地帯とリビアヤマネコの移動

この地図は、地中海とペルシャ湾の間にある肥沃な三日月地帯を示しています。この肥沃な三日月地帯は、新石器時代の農民の先駆けの地でした。その中核であるメソポタミアはチグリス川とユーフラテス川に挟まれ、両河川が合流するペルシャ湾の河口付近は平坦な地形です。河川の氾濫や潮の影響を受ける地域でしたが、農作を行う上では非常に恵まれた地域でもありました。

平坦な草原には、ヤギやヒツジ、ウシといった動物が水に困ることなく暮らしていました。そして、肥沃な三日月地帯では本格的な農耕が始まりました。生活基盤が出来上がってきた肥沃な三日月地帯の住民は、さらなる資源を見つけるために新たな土地を探し出ようとし、家畜化されたヤギやヒツジ、犬を連れて移住を始めました。

実はこの移住の際に、猫の先祖であるリビアヤマネコも一緒に移住したようです。肥沃な三日月地帯では、リビアヤマネコはペットや家畜として扱われておらず、穀物を食い荒らす小型動物を捕食するくらいの存在だったでしょう。

しかし、今から約6000年前、現在のポーランドに到着した農民たちは、今までなかったある敵に悩まされることになります。その敵とは、農作物を食い荒らすネズミたちだったのです。

そこで活躍するのが、こっそりと付いてきたリビアヤマネコ。ポーランドの在来種であるハタネズミやヨーロッパコウモリといった、農作や生活の邪魔になる動物を猫が処理し、人間と猫はここで初めてwin-winな関係を築いたのです。

ちなみにこの歴史が公になったのはつい先週の話で、米国科学アカデミー紀要に猫の家畜化初期に関する論文が提出されたのです。

ほほう、じゃあこの頃から猫と人間は良い関係を結び始めたのね!

骨の窒素同位体は低く検出され、「人間が作った農作物を食べずにネズミだけを食べていた」という研究結果が出ていることから、まだペットのような親密さはないでしょうが。でも、人間にとって大切な食べ物を守ってくれていたのですから、エジプト人が猫を崇めて、猫を神にしてしまうのも分かる気がします。

バステト:ライオンから猫へ

今更言うのもあれですが、実はバステトは元々は猫ではなく、雌のライオンとして崇拝されていたのです。

え?そうなの?!

初期エジプトで描かれた像やヒエログリフを見ると、バステトは頭が雌ライオンで人間の女性の体を持っているのです。当時のエジプト人は、雌ライオンの強暴さながらも子供たちを慈しむ、強く優しい母という側面を身近に感じながら日々を過ごしてきたのです。すると、エジプト人はいつしかライオンを神聖な動物と解釈するようになり、崇拝の対象になったのです。

確かにライオンは百獣の王なんて呼ばれもしてるからね!

でも、なぜバステトはライオンから猫に変わったのさ?

初期のエジプト神話について少し話していきましょうか。雌ライオンの頭と女性の体を持つバステト。その父親は太陽神ラーで、エジプト神話の中心的で重要な神です。太陽神という名の通り、ラーは太陽を支配していました。このラーの目の力借ってな!

古代ギリシャなどでは、ラーの目とウアジェトの目を融合させて「ホルスの目」として語られることが多いですが、初期は左目がウアジェト、右目がラーという区別があったんです。もちろん、右と左で違う意味を持っていました。

左目のウアジェトの目は月を象徴していて、「月の満ち欠けを象徴し、失ったものを回復させる」という意味を持っていました。右目のラーの目は、太陽を表しています。太陽は自然の恵みを与え、時には灼熱で攻撃的にも感じ取れます。そうしたことから、ラーの目は圧倒的なパワーを象徴するものになりました。そして、このラーの目が、初期のエジプトでは元々バステトに関連付けられていたシンボルだったのです。

雌ライオンは強暴さながらも子供たちを慈しむ、強く優しい母であるとさっきも話しましたが、このシンボルにはそういった「力」という意味が込められています。そして、バステトにはセクメトという、二面性のあるビジュアルを持つ妹がいたのです。

このセクメトは、ラーが自分を崇めない人間を殺戮するために地球に送られ、時には伝染病の神としても恐れられていた存在だったのです。当初はバステトもセクメトも同様の扱いを受けることがありましたが、セクメトは殺戮を行った戦士として、バステトは雌ライオンのように慈母的で慈悲深い女神として認識されていました。エジプトを襲った伝染病などでセクメトは日に日に恐れられ、バステトは逆にみんなから崇拝される立場へと変化し、セクメトはより戦闘的に、バステトは平和を象徴するようになりました。

これはエジプト中・後期時代の彫像やピラミッドのヒエログリフを見るとはっきりと分かります。バステトはファラオの看護婦となり、時には彼の守護者として行動しました。この伝承はピラミッド内の棺からも確認されており、葬儀の道具としてその伝承が書かれたアイテムも発見されています。

つまり、バステトはライオンのような強暴性のある部分じゃなくて、子を持つライオンの優しさって部分が伝わっていったってコトね!

ああ、だが、エジプト神話には様々な解釈の余地がある。女神のように優しい母という意味で解釈する神話もあれば、太陽神ラーの娘、あるいは妹や妻として描写する神話もある。

バステトと猫:神格とイメージの変化

さて、バステトに関する神話について軽く触れたが、バステトはいつからライオンから猫になったのか?という疑問に答えていなかったな。

結果から言うと、第22王朝時代である紀元前1000年頃には既にイメージチェンジしていたはずだ。と言うのも、末期王朝時代である紀元前600年頃に、バステトと猫の関係を表した聖堂の彫像がバステトに奉納されていたんだ。そういった奉納品として丁重に扱われるということは、それ以前からバステト=猫として崇拝されていたと考えることもできる。

ここで一旦話を猫の方に戻そう。エジプトには元々はリビアヤマネコとジャングルキャットが生息していたんだ。ジャングルキャットは野生味が強く、とても人間になつくような性格ではなかったが、リビアヤマネコは人に馴れやすい性格をしていて、紀元前3600年頃には猫と共存していた跡が発見されているんだ。この頃には猫を崇拝していた記録は残っていないが、紀元前2000年頃に役払い目的で作られた魔法のタブレットに猫の絵が描かれている。

先述した通り、猫は穀物を食い荒らすネズミを撃退してくれるが、エジプトでも同様にネズミによる穀物荒らしが酷く、穀物を守ってくれる猫は非常に頼もしい存在だったのだ。その500年後には建築家として活躍していたプイムルは猫に「ネジェム」という名前をつけ、人類史上初めて登場する名前としてギネスブックにも載っているんだ。

ネジェム?エジプトらしいネーミングだけど、どういう意味なの?

「楽しい」とか「スイート」という意味があるらしいぜ!

良いネーミングセンスね!

こうしてエジプトでの猫の人気はうなぎ登りで、時にはネズミやコウモリだけでなく、人間にとって脅威的な動物の相手もしていたんだ。その相手はなんと、ヘビだったんだ。しかも強い毒性を持つコブラだ!

猫がヘビに勝てるの?

ああ、時には蛇に怪我を負わされたり、命を奪われることなどもあり、猫とヘビはこの頃から永遠のライバルだったんだ。余談だが、結構前に猫の横にキュウリを置くと飛び跳ねるっていうのが流行っていただろ?あれは猫がキュウリをヘビと勘違いしているのではないかという説があるんだ。ちなみにそのドッキリを仕かけすぎると猫がストレスを感じまくって感情的にあまり良くないらしいぞ。

天敵っぽいのが横にニョッと現れたら、そりゃストレス溜まっちゃいますよね!

あとは猫が威嚇する時に「シャー」って鳴くだろ?あれもヘビの真似をしていると考えられているんだ。

と、少し話がずれまくったな。 こういったように猫とヘビは永遠に争っていて、その様子はエジプト神話の中でも見れるんだ。この絵はラーがヘビに絡まれている図で、そこにバステトが飛び出してヘビを倒すという話が伝えられている。

こうしてバステトへの崇拝は日に日に巨大になり、「ペルバステト」と名付けられた都市は、後期の中心地として、そして猫崇拝をする場所にもなった。その都市の中心部にあった猫神殿には、数十体もの猫の彫像と、専属の世話係によって飼育されていた数十匹の猫がいたらしい。

猫好きにとってたまらない場所ね!

残念ながら今はちょっとした跡形しか残っていないがな。なんせ2000年以上前の話だしな。こうして猫を崇拝するバステト崇拝だったが、紀元前500年頃にペルシャ人がとんでもない戦術でエジプトを攻め、あっけなくエジプトが負けてバステト崇拝は終焉を迎える。その戦術とは、エジプト人が大好きな猫を盾に縛り付けて攻撃させなくするといったもの。エジプト人は大好きで崇拝の対象でもある猫を攻撃できるわけもなかった。

猫を盾に縛り付けるなんて、ペルシャ人、とんでもないね!

まあ、この話のようなことが実際に成されたのかは分からないが、それほどエジプト人は猫を愛し、猫と共に生活してきたんだ。

というわけで今回は猫と古代エジプトについて語ったぜ!今すぐエジプト文明を復活させて猫を崇拝する文化を作るのも良いかもしれないわね!ふふふ、どうだろうか?というわけで今回はここまで!次回も見てくれよな!チャンネル登録もよろしくね!じゃあ、サラバ!サラバ!