デーモンコア:1秒足らずで命を奪う臨界事故と原子核物理学の深淵

デーモンコア:1秒足らずで命を奪う臨界事故と原子核物理学の深淵

デーモンコア:1秒足らずで命を奪う臨界事故と原子核物理学の深淵

1945年、第二次世界大戦の終結直後。世界は核兵器の恐怖を目の当たりにし、新たな時代へと突入しようとしていました。その陰で、まだ解明されていない謎や危険が潜む原子核の世界では、驚くべき事故が起きていました。 カナダの物理学者ルイーズ・スローティンによる、**「デーモンコア」**と呼ばれるプルトニウムの塊を巻き込んだ臨界事故です。この事故は、わずか1秒未満の間に、若き科学者の命を奪いました。本記事では、この悲劇的な事故とその背景にある原子核物理学の深遠な世界について、分かりやすく解説していきます。

スローティンの臨界事故:デーモンコアとは何か

1946年5月21日、ロスアラモス国立研究所。ルイーズ・スローティン博士は、直径約9cmの純粋なプルトニウムの塊、通称**「デーモンコア」**を用いた実験に取り組んでいました。デーモンコアは、臨界状態に達しやすい非常に危険な物質です。

スローティン博士は、デーモンコアを半球状の金属の塊で覆い、金属が完全に接しないようにマイナスドライバーで間隔を調整していました。この微妙な調整によって、プルトニウムの臨界量にどれだけ近づいているかを検証する実験です。

もし、半球状の金属が完全に接合してしまうと、デーモンコアは臨界量に達し、大量の放射線が放出されます。周囲からは反対の声が上がっていましたが、スローティン博士は過去に同様の実験を全て成功させており、中止する理由を見出せませんでした。

そして、運命の瞬間が訪れます。スローティン博士はいつものようにマイナスドライバーで金属を調整していましたが、操作を誤り、金属が滑ってしまいます。滑った上半分の金属は下半分とくっつき、その瞬間、青白い光と強烈な熱がスローティン博士を襲いました。

彼は慌てて上半分の金属を払い除け、核反応を停止させました。この間、わずか1秒未満です。光と熱は収まり、実験室は静まり返りました。

しかし、この一瞬の出来事がスローティン博士の命を奪うことになります。プルトニウムが臨界状態にあった時間は1秒未満でしたが、彼は致死量の放射線を浴びてしまったのです。原子核サイズの大量の粒子とガンマ線が彼の全身の細胞を貫通し、細胞は再生能力を失いました。彼の容態は急速に悪化し、事故発生から9日後に彼は亡くなりました。

原子核の構造:陽子、中性子、電子の世界

原子核反応を理解するには、まず原子の構造を理解する必要があります。

例えば、ヘリウム原子の中心には原子核があり、その周囲を電子が飛び回っています。原子核は、陽子2つと中性子2つで構成されています。ヘリウム原子のように、世の中のあらゆる原子は、陽子、中性子、電子の3種類の粒子だけで構成されており、異なるのは粒子の数だけです。

例えば、炭素原子の粒子の組み合わせは、陽子6個、中性子6個、電子6個です。

原子の構成を簡単に表す方法として、元素記号があります。

  • 上付き数字: 陽子の数(原子番号)
  • 下付き数字: 陽子と中性子の合計数(質量数)

同じヘリウムでも、中性子が1つ少ないヘリウム3(³He)が存在します。陽子の数が同じで中性子の数が異なる原子を同位体といいます。

原子核を結びつける力:強い相互作用

原子核は、陽子と中性子がくっついています。しかし、陽子同士は正の電荷を持つため、反発し合うはずです。では、なぜ陽子と中性子はくっついて原子核を形成できるのでしょうか?

その理由は、強い相互作用と呼ばれる強い結合力です。

世の中のあらゆる自然現象には、4つの力が働いています。

  1. 強い相互作用: 陽子や中性子を結びつける力
  2. 弱い相互作用: 原子核の崩壊に関わる力
  3. 電磁相互作用: 電荷間に働く力
  4. 重力相互作用: 質量間に働く力

原子核を構成する陽子と中性子を結びつける力が、強い相互作用です。

強い相互作用のメカニズム:電磁相互作用との闘い

陽子は正の電荷を持っています。電磁相互作用によって、陽子同士は互いに強く反発し合います。では、強い相互作用はどのようにしてこの反発力を克服するのでしょうか?

強い相互作用は、電磁相互作用よりも強力な力です。陽子同士を極めて近い距離まで押しつけると、強い相互作用が働き、電磁相互作用による反発力を上回ります。しかし、陽子が大量に集まると、電磁相互作用の力が相対的に強くなり、原子核は不安定になっていきます。

原子核の安定性:中性子の役割

ここで重要な役割を果たすのが中性子です。中性子は電荷を持たないため、電磁相互作用による反発力を受けません。原子核に中性子が存在することで、陽子と陽子の距離を適切に引き離し、反発力を弱めることができます。

原子核に中性子がバランスよく入っていると、原子核は安定します。

質量欠損と結合エネルギー

原子核の結合に関連した謎があります。それは質量欠損です。

例えば、ヘリウムの原子核は陽子2個、中性子2個、合計4個の粒子でできています。しかし、4個の粒子の質量の合計は、ヘリウム原子核の質量よりも大きくなります。つまり、質量の一部が失われているのです。

これは、アインシュタインのE=mc²の公式で説明できます。質量とエネルギーは変換可能であり、失われた質量は、原子核を結びつける結合エネルギーに変換されているのです。

言い換えると、原子核をバラバラにしたいなら、追加のエネルギーが必要だということです。

結合エネルギーと元素の安定性

以下のグラフは、結合エネルギーを表したものです。横軸は陽子と中性子の合計数、縦軸は結合エネルギーです。

全ての元素の中で最も結合エネルギーが大きいのは鉄です。鉄は最も安定した元素であり、恒星の核融合が鉄で止まるのもこのためです。鉄より重い元素は、分裂した方が安定し、鉄より軽い元素は融合した方が安定します。

鉄より重い元素が分裂するときの結合エネルギーの差は小さく、鉄より軽い元素が融合するときの結合エネルギーの差は大きくなります。これは、核分裂を利用した原子爆弾よりも、核融合を利用した水素爆弾の方が威力が高い理由であり、核融合発電が夢のエネルギーと呼ばれる理由でもあります。

原子の不安定性と自然放射能

原子の質量が大きくなると、原子は不安定になり、崩壊しやすくなります。現在確認されている最も重い原子、オガネソンは、陽子が118個、中性子が176個もくっついているため、非常に不安定で、わずか0.000089秒ほどで崩壊してしまいます。

重い原子は不安定で、陽子と中性子の合計数が約230個になると、原子が崩壊する様子を観測できるようになります。このように、原子が勝手に崩壊することを自然放射能といいます。

放射線の種類と特性:アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線

原子核が崩壊するときに出る放射線は、主に4種類あります。

  1. アルファ線: 陽子2個と中性子2個のセットが飛び出す。空気中で減速しやすく、薄い紙でさえ遮蔽できる。
  2. ベータ線: 中性子が崩壊して電子とニュートリノを放出する。高速で移動する電子をベータ線と呼ぶ。
  3. ガンマ線: 励起状態の原子核が元の状態に戻るときに放出する電磁波。透過力が高い。
  4. 中性子線: 原子核が分裂するときに飛び出す中性子。水などで遮蔽できる。

デーモンコアはプルトニウムの塊なので、自然放射能によってアルファ線を放出します。しかし、アルファ線は数cmで運動エネルギーを失い、既に死んだ細胞層や角質層で停止するため、外部被曝の心配はほとんどありません。

内部被曝が危険と言われるのは、放射性元素が体内に入ると、アルファ線が細胞を打ち抜くためです。

核分裂と核融合:質量とエネルギーの変換

アルファ崩壊は、原子核の分裂です。2つに分裂するだけであり、分裂後の2つの粒子の質量の合計は、元の粒子の質量と同じになるはずです。しかし実際には、分裂後の2つの粒子の質量の合計は、元の粒子の質量よりも軽くなります。これは、質量の一部が運動エネルギーに変わっているためです。

分裂後の2つの粒子の質量と運動エネルギーの合計が、元の粒子の質量と一致するのです。

核兵器と原子力発電:ウラン濃縮とプルトニウム

原子力発電の燃料はウランです。地球上に天然で存在する元素の中で、ウランは原子量が大きく、大量に採掘できるため使われています。

天然ウランは主にウラン238とウラン235の2種類があります。連鎖的に核分裂し、燃料に適しているのはウラン235です。しかし、天然ウランの99.3%はウラン238で、ウラン235は0.7%しかありません。発電所の燃料として利用するためには、ウラン235の割合を増やす必要があります。これがウラン濃縮です。

ウラン濃縮は、ウラン同位体の質量の差を利用した方法です。天然ウランの気体を高速で回転させると、重いウラン238は外側に、軽いウラン235は内側に集まります。内側の軽い気体を回収することで、ウラン235の濃度が高いウランを取り出すことができます。

濃縮度が約4%のウランを低濃縮ウランといい、発電所の燃料として利用できます。濃縮度が20%を超えたものを高濃縮ウランといい、研究目的で使用されます。濃縮度が90%以上のものは、核兵器にも使用される兵器級ウランとなります。

北朝鮮の濃縮ウラン工場が軍事衛星などによって発見されたのは、濃縮度90%以上に濃縮するには何度も濃縮作業が必要で、莫大な電力を消費し、巨大な設備が必要になるためです。

発電所で使われる低濃縮ウランは、ウラン235が約4%、残りの96%はウラン238です。発電所では、ウラン238が中性子を捕獲すると、ウラン239に変化します。

中性子が1個増えたため、ウラン239は不安定になり、約24分で陽子に変わり、プルトニウム239が生成されます。さらに、追加で中性子を捕獲すると、プルトニウム240が生成されます。

低濃縮ウランを燃料に発電所を稼働させるとプルトニウムが生成されます。発電所で生成されるプルトニウム239の半減期は24000年以上で、自然放射能を起こしにくい物質です。そのため、プルトニウム239を裸の状態で扱っても外部被曝の心配は最小限です。一方、プルトニウム240の半減期は約6000年で、プルトニウム239に比べて自然放射能を起こしやすい元素です。プルトニウム240が崩壊しアルファ線を放出し、励起状態になった崩壊後の原子は強力なガンマ線を放出します。

高純度プルトニウム239の入手:原子力発電所の役割

一般的にプルトニウム240は不純物であり、プルトニウム239の純度が高ければ高いほど、核兵器や発電所の燃料として適しています。そこで、プルトニウムもウランと同様に濃縮する必要があります。しかし、ウランと異なり、プルトニウム239とプルトニウム240では中性子1個分の質量の差しかないため、遠心分離はできません。

では、どのようにして高純度のプルトニウム239を入手するのでしょうか?前述の通り、発電所内でウラン238が中性子を捕獲することでプルトニウム239が生成されます。発電所の稼働時間が短いほど、プルトニウム239の純度が高くなります。長期間稼働させると、プルトニウム240などの不純物が増えてしまいます。

高純度のプルトニウム239を得るには、燃料を頻繁に取り換える必要がありますが、通常の原子力発電所では、経済的な理由から頻繁に燃料交換することはできません。

高純度のプルトニウム239を作るには、専用の原子炉を稼働させる必要があります。

プルトニウムにはグレードがあります。プルトニウム239の濃度が82%未満のものは、通常の原子力発電所で使用されます。濃度が82%を超えると、ガンマ線の放出が少なくなるため、原子力潜水艦の燃料に使用されます。濃度が93%を超えて初めて核兵器に使用できます。より高濃度のプルトニウム239は研究用です。

冒頭で紹介したデーモンコアは、プルトニウム239の純度が非常に高く、ほぼ研究用グレードのプルトニウムの塊でした。つまり、非常に効率的な核兵器材料だったということです。

なぜプルトニウム239は核兵器に適しているのか

核分裂する原子核は他にもたくさんあります。しかし、プルトニウム239は、他の核燃料と比べて、臨界量が非常に小さいです。直径10cmほどの球体にするだけで臨界量に達し、連鎖的に核分裂が発生します。

デーモンコアの直径は約9cm。臨界が始まる一歩手前のプルトニウムの塊だったのです。デーモンコアが臨界に達すると、プルトニウム原子は分裂し、総質量は減少します。1つの原子が分裂すると、約200MeV(メガ電子ボルト)のエネルギーを放出します。これは、通常の化学反応の質量あたりの出力の1000万倍です。

200MeVのエネルギーのうち、約85%は分裂後の原子の運動エネルギーです。分裂時、平均2.5個の中性子が放出され、その運動エネルギーは全体の約3%です。残りの約4%は、陽子、ガンマ線として放出されます。

デーモンコアのまとめと今後の展望

デーモンコアは、極めて高純度のプルトニウムの塊であり、自然に核分裂しないため、近寄ってもそれほど危険ではありません。しかし、デーモンコアは臨界状態になるギリギリ手前の状態でした。自然放射能で放出される中性子を金属で反射させることで、臨界量に到達させることが可能です。スローティン博士は、デーモンコアに金属を近づけ、その距離をマイナスドライバー1本で調整していた際に、手を滑らせ、臨界に達してしまったのです。

放射線、核燃料、原子力と聞くと、何か特別な危険なもののように感じます。しかし、それは原子を作る3種類の粒子と、粒子間に働く力で説明できるシンプルな反応であり、決して特別な何かではありません。

これは、放射線や原子力が安全という意味ではありません。放射線や原子力も他の化学と同様、自然現象の解明から生まれた数多くの技術の1つです。核反応は莫大なエネルギーを取り出すことができ、使い方次第で私たちにとって有益にも有害にもなります。

現在、人類は原子よりもさらにミクロな領域、量子領域を研究しています。核物理学が私たちの生活を大きく変えたように、最新の研究や技術開発が今後、社会をどのように変えていくのか、とても楽しみです。

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