Minecraft史上最大の戦争!2b2tサーバーにおけるFacePunch共和国滅亡の歴史
- 2024-12-30
Minecraft史上最大の戦争!2b2tサーバーにおけるFacePunch共和国滅亡の歴史
皆さん、2b2tというサーバーをご存知でしょうか?2010年8月3日に始まり、現在まで約10年間の歴史を持つ、Minecraft界で最も過激なアナキサーバーです。荒らしOK、ハックOK、チート何でもOKという、まさに無法地帯。今回は、このサーバーで起きた、壮大な戦争の歴史を紐解いていきたいと思います。
2b2tサーバーの誕生とFacePunch共和国の建国
全ては2010年8月、HouseMasterというプレイヤーによってサーバーが誕生したことから始まりました。初期の2b2tはプレイヤーが少なく、運営は複数の海外サイト(日本の2ちゃんねるのようなスレッドサイト)に宣伝広告を掲載することでユーザーを集めました。
当然、2ちゃんねるや海外の4chanから集まったプレイヤーの民度は…察して頂ける通りです。 荒らしプレイヤーが多数流れ込み、サーバーができて数ヶ月後には、もはや無法状態に陥っていました。スポーン地点は、その名の通りスポーンという機能を全く意味しない場所と化しました。
それでも、サーバーは存続しました。日本では701年に大宝律令が制定されましたが、これは国家の理念を示すための法令です。それ以前にも、人を殺してはいけない、盗んではいけないといったルール、つまり法令そのものよりも以前から存在する暗黙のルールがあったのです。
縄文時代から、人類は集落を作って生活してきました。マンモスを狩る際にも、明確な法律はありませんでしたが、暗黙のルールが存在していたのです。集落で暮らす以上、何らかの秩序が必要だったのです。
FacePunch共和国の興亡と最初の戦争
2011年4月27日、サーバー開設から約半年後、ChessHeadというプレイヤーが2b2tで最初のクラン「FacePunch Republic(FacePunch共和国)」を設立しました。このクランのメンバーは、主に海外のスレッドサイトfacepunch.com
のメンバーで構成され、大規模な拠点を築きました。
彼らの目標は、Creating a perfect civilization
、つまり2b2t内で秩序を築き、完璧な文明を形成することでした。
FacePunch共和国は、大統領、顧問、市長、市民といった社会階級を設けました。大統領であるChessHeadは全ての決定権を持ち、顧問は各拠点のチェックやアドバイスを行い、定期的にメンバー同士でオンライン会議を行うなど、秩序を保つためのルールを設けました。
しかし、これはアナキサーバーにおける自由への侵害とみなされ、許されるはずもありません。FacePunch共和国の行動は、サーバー全体への暴挙と見なされ、荒らしプレイヤーたちによって攻撃を受けました。
2b2tにおけるFacePunch共和国への攻撃情報は4chan(海外の2ちゃんねる)にも伝わり、4chan連合軍がFacePunch共和国の本拠地を攻撃しました。これは、事実上の宣戦布告でした。
FacePunch共和国の主要メンバーは、海外の2ちゃんねる的なサイトのユーザーで構成されていましたが、この戦争で特筆すべき点は、FacePunch共和国と戦うために、多くのゲリラプレイヤーたちが自然と連合軍を組んだ点です。彼らはFacePunch共和国の思想に反発したのです。これは、国家間の戦争ではなく、秩序を望む者と、無秩序を愛する者との戦いであったと言えるでしょう。
ゲリラ戦術と複製バグの発見
4chan連合軍は、拠点や要塞を持たず、各拠点から攻め込むゲリラ戦術を取りました。これは、日本の楠木正成が鎌倉幕府と戦う際に用いた、要塞を使わずに敵と戦う遊撃戦術に類似しています。
このゲリラ戦術によって、FacePunch共和国の食料、武器、資材は徐々に枯渇していきました。相手が拠点を持たないため、集中攻撃もできません。
しかし、FacePunch共和国も一歩も引かず、4ヶ月間で35以上の拠点や要塞を建設しました。その中で、あるプレイヤーが**「Duplication Glitch(複製バグ)」と呼ばれる、アイテムを複製できるバグ**を発見しました。
多くの解説では、このバグを4chan連合軍が発見したと誤解されていますが、実際にはFacePunch側が最初に発見したのです。後の戦後分析において、この複製バグの発見は歴史的な意義があったとされています。
にも関わらず、FacePunch共和国は敗北します。複製バグを発見したにも関わらず、なぜでしょうか?
裏切りのスパイと共和国の終焉
実は、FacePunch共和国に、4chan連合軍のスパイが潜入していました。そのスパイは、なんと4chan連合軍の大将、Luke2theBan本人だったのです。大統領が自らスパイ活動をしていたのです。
このスパイによって、複製バグの技術やFacePunch共和国の拠点・基地情報、建造物までもが、全て4chan連合軍に流出しました。これによって、戦況は大きく傾き、FacePunch共和国は崩壊しました。
2011年6月、FacePunch共和国のプレイヤーの大半は、サーバーから去りました。そしてFacePunch.comに「FacePunch共和国はなくなりました」という投稿がされました。これは降伏宣言でもありましたが、FacePunch狩りはその後も続きました。
2011年10月、FacePunch共和国の大統領であるChessHeadもサーバーから去りました。これにより戦争は終結し、2b2tは再び荒廃したアナキサーバーへと戻っていったのです。
バルキリアの台頭とアスガルドの崩壊
しかし、FacePunchメンバー全員が消滅したわけではありませんでした。彼らは、孤立して生き続けるか、再び立ち上がるかという岐路に立たされました。
その中で、FacePunchメンバーの一人が「通称 通称」という拠点を作りますが、スポーン地点の近くにあったため、新しい殺人プレイヤーの犠牲になり壊滅しました。
2012年、FacePunch共和国のプレイヤーの多くが脱退したため、単純にプレイヤー数が減りました。Minecraftはのんびりクラフトや建築をするゲームです。殺し合いや破壊を繰り返す戦争は、多くのプレイヤーの離脱を招きました。さらに、ログインのためにPK(プレイヤーキル)が横行するようになり、サーバー維持のための費用負担(月額90ドル)も重くのしかかり、サーバーが一時的に完全に停止する事態も発生しました。
しかし、2013年6月、登録者100万人以上の海外YouTuber IGNが2b2tサーバーを取り上げたことをきっかけに、プレイヤー数が増加しました。そして、この頃から2b2t内で新たなクラン「バルキリア」が台頭します。
バルキリアのメンバーは、DoryuBookman、PyroByte、佐藤86の3人でした。彼らは2b2tにおけるトップレベルのプレイヤーでした。
しかし、後の歴史で少し話がずれちゃいますが、DoryuBookmanはバルキリアを裏切って、同じクランのリーダー3人のうちPyroByteが責任を取ってMinecraftを引退したという歴史もありました。
バルキリアは、先に滅んだFacePunch共和国の理念を受け継ぎ、「ジャックに優しく、力を持って秩序を作る」という正義のヒーロー的な側面を持っていました。しかし、2b2tでは秩序は許されません。「無法であること」「自由であること」がルールだからです。秩序を強制する者は、粛清の対象となるのです。
バルキリア、最強の要塞アスガルドを築き、そして…
しかし、バルキリアは違いました。彼らはFacePunch共和国の失敗も知っていました。バルキリアは、多数のメンバーが完全武装し、単純に強かったのです。
荒らしプレイヤーたちは何度も戦争を仕掛けましたが、逆に返り討ちにあい、寝たきりになる者もいました。
2014年、バルキリアは2b2t史上最高の要塞「アスガルド」を建設します。山そのものを拠点として改造した巨大要塞です。アスガルドの建設を主導したのは佐藤86(日本人かどうか不明)でした。
アスガルドは、主要メンバー以外、誰も座標を知らないほどの極秘拠点でした。要塞としても最強の性能を誇り、事実上無敵の要塞でした。
しかし、たった一人のプレイヤーによってアスガルドはわずか一晩で壊滅します。その壊滅させた張本人とは、2b2t史上初のチーター、PoopBobです。
まとめ:Minecraft世界のリアルな戦争
ここまで、2b2tサーバーにおけるFacePunch共和国の興亡と、その後のバルキリアの戦いについて見てきました。これは、Minecraftというゲームの中で実際に起きた歴史です。
現代の戦争を彷彿とさせる、策略、裏切り、そして絶望的な戦い。この物語は、私たちに多くのことを教えてくれます。最後に皆さんに一つ質問です。もし皆さんが神のような力を持ったなら、何に使いますか?